若栗玄さんを偲ぶ
25年以上も適度な距離間で
付き合ってきたバラは
筆者にとっては
気難しいけど
なかなか離れられない
友人のよう
カテゴリーを
「薔薇」にするならば
最初に紹介したいのは
若栗玄さんのこと
Tea Breakの
2019年9月12日に紹介したものを
もう一度(そのままの文章)↓
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ちょうど10年です
2009年9月12日 享年83歳
若栗玄さんとの出会いは
1996年初夏
アトリエを建てたいという
ご依頼をいただいたことから
絵が好きだった筆者は
油絵の具の匂いのしみ込んだ空間に
心洗われるような
神聖さを覚えたことを
今も忘れていない
こちらの写真は
2007年に撮ったもの
2段目のいちばん左
青い背景に赤い色の静物は
今 我が家にあります
この時偶然にも写っていました
この完成したアトリエの壁には
描いて模索中の絵
まだ悩み続いている未完成の絵
何年も向かい合ってきた絵が
ぎっしりと掛かっていて
迫力がありました
若栗先生がよく言っていたこと
「描くとき
自然の光がいいんだ」
この窓から差し込む
自然光が美しくて
先生の画材と作品とこの空気が
いとおしくて
思わずシャッターを切った
我が家には
先生の描いた油絵と水彩画
遊び心で描いた絵など
何枚か 否 けっこうある
その中から数点を紹介したい
1作品目
わかっているのは
2006年以前の作品ということ
「ばら」
正確な年代は不明ですが
ガラスの素材感
葉の感じから
かなり古いのではと思う
2作品目
2006年「ばら」
(作品添付票より)
この頃になると
もっと自由に開放的に
作品がはずんできた
(筆者のコメントで申し訳ない)
3作品目
1997年「ばら」
このバラは
この頃に先生が描いていた
写実的な他の作品とは
タッチが違います
先生の作品の変遷を
折に触れて観てきた筆者は
この斬新さに
不思議さを感じます
1997年とあるけど
ほんとうは
その後
何度も絵の具を重ね
描き直しを繰り返した
のではないだろうかと
今聞きたいところだ
赤いバラは
きっと
この玄関に咲くバラがモチーフ
先生も一緒に写ってくれました
4作品目
1988年「彩雲」(安曇野)
先生はアトリエが建つ前から
この風景を見ていたのだろう
1992年「インドの神々」
水彩画
先生の水彩画は
みずみずしい
よくアトリエに呼ばれて
珈琲とお菓子と
会話を楽しみました
若栗玄さんの懐の深さにあまえて
何でも言葉にすることができると
信じる源でした
先生へ追伸
先生が逝かれて
その後
先生の奥様に
お茶に呼ばれた時
会話の最中
キャンバスが突然倒れましたね
落ちるはずのないキャンバスが
バタンと倒れ落ちた
あの時
先生はそこにいたんだよね
そう
アトリエにいたんだ
と思っています
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今年も
庭のバラが芽吹き始めています
このシーズンがやって来ると
ふと
若栗玄さんのことを思い出します
バラが好きだった奥様のことも
(若栗さんが逝かれて
10年目の秋
奥様も若栗さんのもとへ)
現在自分のところにある
3枚の薔薇の油絵
その時々に
我が家にやって来た
カンバスの中の薔薇は
ずっと咲いていて
永遠のようなものを感じています
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