木づくりの家
あのとき、あの瞬間、ちょっとした心の感動があった。

2024年05月29日

一本木公園

行ってきました

長野県中野市の「一本木公園」

バラの色と香りと公園の風を満喫


何年ぶりでしょうか
本当に久しぶりです

前回は
公園が大きく拡張される前
工事をしている時でした


↑このバラのトンネルの土台を
造っているところを見ました

↓さらにこんなに広がって
ビックリです


ひとりの方が
育てていたバラの株の寄付から
始まったバラの公園です

当初
苗のすばらしい成長ぶりに
圧倒されました

エノキの菌床部分を
混ぜていると聞きました
株元がフカフカ柔らかく
真似できないなあ
と思ったものです

バラを育てている者として
羨ましい限りのの土です

あれから26年
(公園は30周年だそうです)
公園の成長をこれからも
見守っていきたいです

  


2023年04月02日

マツカワ・ローズ~友好の懸け橋~


「マツカワ」という名の薔薇をプレゼントされたらどう思う?

―――と筆者に聞いてきたのは、当時松川村のALTだったデイヴィッド(David英国出身)でした。そして2000年の夏、長野県北安曇郡松川村にそのバラは本当にやって来たのでした。その頃筆者はちょうどバラの庭づくりを始めた時で、デイヴィッドと「イギリスのバラを松川へ」のプロジェクトをやることになって、心躍る気持ちでした。

イギリスと言えばバラ、イングランドの国花(テューダー・ローズ)としても大切な花。日本の桜のような存在だろうか。彼はマツカワと命名された新しい品種のバラを、彼の故郷のSt.Albans市から日本の松川村へ贈呈することで、友好の懸け橋となる証を残したかったのです。マツカワ・ローズにはもう一つ、「フォーエヴァー・フレンズ(Forever Friends永遠の友)」の名前がついているのも、彼の松川村へのメッセージでした。
今、松川村のあちらこちらで見られるマツカワ・ローズですが、このバラを提供してくださった英国の権威ある著名人には大変驚きました。ブリーダー(作出者)はコリン・ホーナー氏(Colin Honer)で、St. Albans市にあるRNRA(英国王立ばら協会)の当時の会長さんでした。そして、デイヴィッドの希望をかなえるために尽力してくださったケン・グレイプス氏(Ken Grapes)は当時世界バラ連合会の会長さん、そのことを知った時は薔薇の世界で彼らを知らない者はいないほど雲の上の方々だったので、言葉になりませんでした。

グレイプス氏はその数年後、松川村を訪れています。



マツカワ・ローズ(Forever Friends)

丈夫で育てやすいバラです。120cm。蕾は赤みがさし、大きくなるにつれてクリーム色になります。開ききったところでソフトピンク色に変わります。ティ―セントの香りが色とマッチして、やさしい雰囲気を醸し出しています。葉は照り葉です。半つる性のシュラブなので、フェンスに這わせたり、小さいポールに仕立てるのが良いと思います。3週間に1回くらいの消毒で十分です。黒点病にも強く、それほど手がかかりません。良い土壌では2mくらいに育ちます。 肥料をしっかりあげると良い株に育ち、春から秋まで咲き続けます。

  


2023年03月27日

若栗玄さんを偲ぶ

25年以上も適度な距離間で
付き合ってきたバラは
筆者にとっては
気難しいけど
なかなか離れられない
友人のよう


カテゴリーを
「薔薇」にするならば
最初に紹介したいのは
若栗玄さんのこと

Tea Breakの
2019年9月12日に紹介したものを
もう一度(そのままの文章)↓


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ちょうど10年です

2009年9月12日 享年83歳 



若栗玄さんとの出会いは
1996年初夏

アトリエを建てたいという
ご依頼をいただいたことから


絵が好きだった筆者は
油絵の具の匂いのしみ込んだ空間に
心洗われるような
神聖さを覚えたことを
今も忘れていない


こちらの写真は
2007年に撮ったもの

2段目のいちばん左
青い背景に赤い色の静物は
今 我が家にあります
この時偶然にも写っていました

 

この完成したアトリエの壁には

描いて模索中の絵
まだ悩み続いている未完成の絵
何年も向かい合ってきた絵が

ぎっしりと掛かっていて
迫力がありました



若栗先生がよく言っていたこと
「描くとき
自然の光がいいんだ」


この窓から差し込む
自然光が美しくて

先生の画材と作品とこの空気が
いとおしくて

思わずシャッターを切った

 


我が家には
先生の描いた油絵と水彩画
遊び心で描いた絵など
何枚か 否 けっこうある

その中から数点を紹介したい



1作品目
わかっているのは
2006年以前の作品ということ
「ばら」

正確な年代は不明ですが
ガラスの素材感 
葉の感じから
かなり古いのではと思う

 


 

2作品目
2006年「ばら」
(作品添付票より)
この頃になると
もっと自由に開放的に
作品がはずんできた
(筆者のコメントで申し訳ない)

 



3作品目
1997年「ばら」

このバラは
この頃に先生が描いていた
写実的な他の作品とは
タッチが違います

先生の作品の変遷を
折に触れて観てきた筆者は
この斬新さに
不思議さを感じます

1997年とあるけど
ほんとうは
その後
何度も絵の具を重ね
描き直しを繰り返した
のではないだろうかと

今聞きたいところだ

 

赤いバラは
きっと
この玄関に咲くバラがモチーフ
先生も一緒に写ってくれました




4作品目
1988年「彩雲」(安曇野)

先生はアトリエが建つ前から
この風景を見ていたのだろう

 



1992年「インドの神々」
水彩画

先生の水彩画は
みずみずしい

 


よくアトリエに呼ばれて
珈琲とお菓子と
会話を楽しみました

若栗玄さんの懐の深さにあまえて
何でも言葉にすることができると
信じる源でした



先生へ追伸

先生が逝かれて
その後
先生の奥様に
お茶に呼ばれた時

会話の最中
キャンバスが突然倒れましたね
落ちるはずのないキャンバスが
バタンと倒れ落ちた

あの時
先生はそこにいたんだよね
そう
アトリエにいたんだ
と思っています

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今年も
庭のバラが芽吹き始めています

このシーズンがやって来ると
ふと
若栗玄さんのことを思い出します
バラが好きだった奥様のことも

(若栗さんが逝かれて
10年目の秋
奥様も若栗さんのもとへ)


現在自分のところにある
3枚の薔薇の油絵

その時々に
我が家にやって来た
カンバスの中の薔薇は
ずっと咲いていて
永遠のようなものを感じています